京都市の整骨院 | 保家接骨院
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院長ブログ

クセになった腰痛
私自身が腰痛になったのは、高校時代のクラブ・柔道をしているとき、強引に背負い投げに入り、逆に反対に返されたときに傷めたのでした。

しかし、まだ若かったものですから、1週間で治りました。

その後、クラブをしていたときは、腰痛になることはなかったのですが、やめて2年くらい経つと腰痛が起きるようになりました。
私の場合は、筋肉が痛むのではなく、腰椎5番と仙骨の間の痛みでした。押さえると激痛です。そして腰を曲げてからの伸展時に激痛でした。

それから毎年のように腰痛が起きました。30歳を前にした頃には年に2回起きるようになりました。

その間何もしなかったわけではありません。腰部周辺の筋力強化もしました。
あるとき足の親指の力が著しく低下したことに気がつき、歩くときに親指をしっかり使って歩くようにしました。
それでも急に腰が伸ばせなくなるのは続いていました。

35歳のとき、目が覚めたら激痛で起き上がれません。それどころか寝返りも打てません。首を動かしても腰に激痛が走り動けませんでした。そのとき将来の自分の腰が心配になりました。
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足関節捻挫

クラブをしていた時には、捻挫や骨折をしたことは一度もありませんでした。
どんなに酷いこけ方をしても。よく捻挫をしなかったなと思うくらいでした。

この道に入って30数年が経ちますが、研修当時の捻挫の治療法は、中等度の捻挫ならボール福祉固定。重度なら骨折並みの金属福祉固定でした。

初めのうちはテーピング治療はしなかったのですが、自身で開業してからはテーピング治療をして患者さんには帰っていただいたことがあります。
時折、テーピングして包帯固定して「歩いてみてください」というと、患者さんは酷く痛そうにしていました。
それを見て心の中でたいそうな患者さんだなあと思っていました。

しかし、自分が初めて強い捻挫をして自身の治療を反省しました。

今から12年くらい前です。
出勤しようとバイクのアクセルを回しながら勢いよく右折しようとしたときに交差点で車体はすべり転倒しました。そのとき恥ずかしさのあまり立ち上がろうとしましたが、右足関節を しこたまぐねり(捻挫)足の裏が地面に着きません。足関節は内反状態のままでした。
下腿部は擦過傷と言うよりずる剥け上体、足関節は外側靭帯の損傷、脛ひ靭帯の損傷。腫れは中等度

当時の助手にテーピングをしてもらい(なかなか上手に巻けていたと思いました)足を着けようとしましたが、痛さの為に足は着けませんでした。(テーピングに精通されている先生ならそういうことはなかったかも知れませんが)

私はテーピングを取り昔ながらのボール副子固定にしますと痛み無く立つことができたのです。
そのとき患者さんに対して私は失礼なことをしていたなと反省したのでした。

よく聞かれると思います。『骨折よりひびの方が長くかかる。捻挫の方が長くかかる』と。
骨折の方が長くかかるのですが、ひび(不全骨折)や捻挫の固定がおろそかにしていると、治療期間が長引いてしまうのです。

捻挫でも強いときは初期にしっかり固定したほうが、早くよくなります。

ただ固定するだけでなく、経過を見ながらマッサージを加え一日も早く回復するようにしていきます。

私自身の体験は、私自身の治療に大きな教訓となりました。


 

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百歳まで生きるんだよ                    捻挫治療
昨年、日本のあちこちで高齢者の行方不明が話題になりました。
寂しい話ですね。自身の親が行方不明になっているのに届出もしてないなんて。

そのことを書こうと思ったのではありません。

如何に年を重ねていくかということに思いを巡らしておりました。
自分自身のこともですが、患者さんの老いについて如何に励ましたらいいか悩みがありました。

そんな時師匠から「百歳まで生きるんだよ」との指針をいただきました。
これだと私は思いました。人は皆何歳まで生きられるかわからないから不安で不安でしょうがないのではないかと思うのです。
寿命が何歳までかわからないのは大きな不安となるのではないでしょうか。(もちろん寿命がわかればわかったで不安でしょうが)高齢の方ほど大病をするともう長くないのではと思い治そうとする気力が涌かずに長らく床に就いてしまうのではないでしょうか。

そんな時どういう風に励ましたらいいだろうかと

手前味噌でjはありますが、父の生き様を通して感じたことが有ります。

私には身体に障害を持った姉が居りますが、母(父より3年前に他界しました)と父は親として娘の為にも長生きしなければと愚痴もこぼさず生きておりました。晩年の父はヤットの思いで歩くのです(手を膝にあてがいながら)が、布団の上げ下ろし、朝の味噌汁つくりなど、しんどいのでしょうが時間を掛けてやっておりました。

私が手伝えば直ぐに済むことでしたが敢えてしませんでした。
「しんどいときは言ってや」と言いますが大抵自分でしていました。

姉の今後のことを考えて施設に入所してもらうことが決まった翌日に父は急逝しました。
一番の心配の姉のことが解決できて安心したのでしょうか。
私は父の命の電源が底をついて空っぽ状態になったのではと思いました。

姉がいなければ父はとっくの昔に寝込んでいたのではと思います。姉がいたから父は自分が頑張らねばと老体にムチを打って懇親の力で行ききったのではと思います。

現在は介護が行き届き痒いところにも手が届く様になって、お年よりは無理をして動く必要がなくなってきたかっら、本当は動けるのに動かさなくなったから、動けなくなっていく人が増えていくのではと思います。

寿命は何歳までかわからないから、一歩進んで「百歳まで生きるんだ」と自身に目標を持つことが大事ではないかと思うのです。

齢80を過ぎると風邪を引いてももう長くないかもと弱気になる方がいらっしゃいます。もし大病したとしても100歳まで生きるんだから、治さなければという力強さが出てくるのではないでしょうか。

今、患者さんには「100歳まで生きてください」と訴えています。

私自身にも言い聞かせています。


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クラス会                         交通事故治療
私の母校、明治東洋医学院専門学校。
卒業して31年になります。私の幹事で「からすま京都ホテル」でクラス会を行いました。

そこには、卒業時の担任をしていただいた小原先生、そして現在の教員・服部先生がお越しくださいました。
遠くは長崎・宮崎・高知・広島・徳島・和歌山、そして大阪・滋賀・京都と集いました。

卒業以来31年ぶりの先生。正直言って顔を覚えておりませんでしたが、しばらく話していくうちに、そういえば
いてはったと思い出すのでした。

過去のことを懐かしむクラス会でもありますが、これを起点にまた、新たな一歩を踏み出す、切っ掛けとなりました。
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木枯らし1号                         腰痛 背部痛
今日関西一円に木枯らし1号が吹いたとのニュースラジオから聞こえてきました。

ちょうど昼休みに自転車で移動中、駐輪してた自転車が風で倒されていたのでしょう。
ペダルを踏み込むにも重いくらい向かい風が強く、前に進みにくかったのですが、そして朝よりも気温が下がっているような感じがしたので、もしや木枯らしが吹いたのではと思っておりましたら、やはり、そうでした。

ついこの間までは、いつになったら涼しくなるのと思っていたら、もう冬ですね。

気をつけましょう。今年はラニーニャ現象の影響で寒い冬になりそうです。


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